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地域を支える思い強く 復興へひた向きに ―― 岩手県・NOSAI宮古(5面・NOSAI)【2013年3月1週号】

130306_04+05.jpg 「もう2年、まだ2年だ」と、岩手県のNOSAI宮古(宮古地域農業共済組合、伊東耕一組合長)の髙橋信明参事は言葉を区切る。東日本大震災で管内は震度6の地震に見舞われ、事務所近くの宮古湾の堤防を津波が超えた。NOSAI部長は余震が続く中、地域の一員として炊き出しを行うなど被災者支援に積極的に活動した。復興が進む現在は、地域農業を支える核として活躍する。


米を持ち寄り避難所で炊き出し
 「津波さえなければ。地震では大きな被害はなかったのに」と瀬川智宏さん(64)は唇をかむ。山田町荒川で夫婦2人で水稲150アール、大豆75アールなどを栽培する。曽根集落の16戸を担当するNOSAI部長のほか総代も務める。
 宮古湾を囲む津波堤防は、コンクリートがところどころ剥がれ、震災の爪痕を残す。沿岸部はいまだに更地のままだ。仮設住宅に住む人の9割は、移転先が決まっていないという。
 NOSAI部長の主な業務は広報紙の配布や建物・農機具・園芸施設共済の推進だ。「1軒でも加入を伸ばしたい」と力を込める瀬川さん。建物共済は継続加入を基本に、共済金額の増額などの見込みがあれば、組合に連絡して職員を派遣してもらう。

地震と放射能 牛の出荷制限
 「農業に必要なのは、健康と忍耐だ」と話す阿部剛夫さん(58)=水稲75アール、タバコ34アール、繁殖牛7頭など。宮古市花輪地区大谷地集落の約30戸を受け持つNOSAI部長だ。
 海から離れた花輪地区では家屋などには大きな被害はなかったが、ガソリンと飼料の不足に悩まされた。飼養する牛には、稲わらなど「とにかくあるものを食べさせた」という。
 その後、飼料などは手に入るようになった。しかし福島第1原発事故の影響で2011年8月、牛の移動制限・出荷制限の指示を受けた。「地震と放射能のダブルパンチだった」と振り返る。
 阿部さんがNOSAI部長として担うのは、建物共済と農機具共済の推進だ。継続加入を基本に、組合から提供される書類に基づいて農家に説明する。
 3、4年前には水稲の損害評価員も務めていた阿部さんは、「地区内では、水稲のイモチ病の被害が毎年ある。シカ害も目立つ。建物でも農機具でも、農業のリスク分散にはNOSAIが一番だ」と強調する。

(5面・NOSAI)

〈写真上:「獣医師の診療など助かっている。これからもNOSAI制度を維持してもらいたい」と、阿部さん〉
〈写真下:米や野菜の生産、菓子加工など、忙しい合間をぬってNOSAI部長の仕事をこなす瀬川さん〉
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