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土への思い募らせて ―― 福島県・NOSAI福島(5面・NOSAI)【2012年3月1週号】

120307_02+03.jpg 福島第1原発事故の発生以来、福島県では、原発から20キロ圏内の警戒区域や放射線量の高い計画的避難地域が設定され、避難を余儀なくされた。住民帰還のめどは立っていない。NOSAI福島(福島県農業共済組合連合会、斎藤良道会長)管内では、先祖伝来の土地を離れ、避難生活を送るNOSAI部長も多い。「徹底的に除染して、暮らしを返してほしい」と訴える。


 「命の次に大切なのは土だ。土を返せ」と語気を強める大内忠治さん(68)。福島第1原発から北西に約40キロの川俣町山木屋で、タバコ3.5ヘクタール、水稲2.5ヘクタールを栽培していた。川俣町方部共済部長協議会(約100人)の代表も務める。建物共済の推進に熱心で加入率は高かった。しかし、原発事故は生活を一変させた。
 現在は、計画的避難区域から移った町民約200世帯が暮らす同町東福沢の仮設住宅へ避難している。「山木屋は、空気がいい。水もきれいでドジョウもホタルもいる」と懐かしむ。
 「先祖から受け継いだ土地に戻りたい」と話す大内さん。いつでも使えるように、トラクターなどの農機具は納屋に格納し、1カ月に1度はエンジンをかけて点検している。
 避難生活が3〜5年に延びて、新しい仕事を見つければ、帰るに帰れないのではないかと不安も感じる。「国には、除染に何年かかるのかはっきり示してもらいたい」と訴える。
 営農再開の前提となるのは、徹底的な除染だ。「子供が泥をかぶって、水をかぶって遊べる、3月11日前の環境に戻してもらいたい」と大内さんは強調する。

 「原発は安全、安心とずっと言われてきたが、今は不安しかない。いったん事故が起きれば被害が大きすぎる。原発は要らない」と話す柚原正一さん(66)。福島第1原発10キロ圏内の浪江町北幾世橋で暮らしていた。現在は、行政が用意した福島市北矢野目高畑のマンションに妻と2人で避難する。
 浪江町では水稲3.5ヘクタール(うち作業受託2ヘクタール)を栽培し、高齢化が進む地区で地域の担い手として活躍。約30戸を受け持つNOSAI部長であり、損害評価員としても活動した。
 柚原さんは現在、避難先の近所で農業を営む黒羽唯一さん(63)=水稲10ヘクタール、モモ3ヘクタール、リンゴ2ヘクタール=方で、稲の育苗を手伝っている。黒羽さんは、「今は、モモの剪定や除染で忙しい。柚原さんは農業のベテランで、大変助かっている」と喜ぶ。
 昨年7月、柚原さんが一時帰宅したときは、雑草が背丈ぐらいまで伸びていた。「3,4日で帰れると思ったのに、もうすぐ1年だ」とため息をつく。

(5面・NOSAI)
〈写真上:モモの樹を前に黒羽さん(左)と話す柚原さん。樹も一本ずつ高圧洗浄機で除染する〉

〈写真下:NOSAI県北の氏家千恵子事業第4課長(右)から広報誌を受け取る大内さん〉

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