今週のヘッドライン: 2025年03月 4週号
香川県立農業大学校は、農機運転の初心者である学生や経験の浅い農業者向けに「トラクターの交通安全教室」を開催している。地元警察署が協力して教習所内を走行しながら公道での安全運転や操作のポイントを指導。大型特殊免許取得の教習などと併せた技能習得の一環として参加を募り、農業関係者以外も交えた講習で、交通安全を身近な地域課題として意識づける。運転席の死角の確認に近隣の保育園の園児たちが協力するなど地域ぐるみで安全意識の醸成を図っている。死亡・重傷事故を防ぐ指導には、実際の交通事故現場を知る地元警察署が協力し、公道走行での知識の解説や危機意識の醸成につなげる。
農林水産省は19日、政府備蓄米の買い戻し条件付売り渡しの第2回入札を26~28日に実施すると公告した。数量は前回落札残を含む7万トン。2024年産が福島県産「天のつぶ」など4万トン、23年産は青森県産「まっしぐら」など3万トンで、18県35品種となっている。入札は前回と同じく、保管委託業者(4社)ごとに行い、落札業者への売り渡しは4月中旬以降となる見込み。
農林水産省は18日、食料・農業・農村政策審議会畜産部会を開き、次期酪農および肉用牛生産の近代化を図るための基本方針案を示した。2030年度の生乳生産目標量は23年度実績と同じ732万トンとし、牛肉(枝肉ベース)は1万トン増の51万トンに設定した。現行酪肉近は増産目標を掲げたが、コロナ禍などによる消費減退を背景に直面する脱脂粉乳の過剰在庫や枝肉・子牛価格の低下など「需給ギャップの解消」が不可欠とし、現状維持へと転換する。その上で、おおむね10年先とする「長期的な姿」として生乳は780万トン、牛肉は53万トンに引き上げる方針を掲げた。同省は3月中にも正式決定する。酪農・畜産の危機打破へ、需要拡大対策の抜本強化など生産者が展望を持てる環境整備が求められる。
NOSAI埼玉(埼玉県農業共済組合)では、損害防止事業の一環として、水稲種もみの温湯消毒サービスを実施している。収入保険と水稲共済の加入者を対象に、NOSAIが温湯消毒機などを貸し出し、職員が作業をサポートする。2024年は6489戸がサービスを利用し、処理した種もみ量は34万2866キロに上った。作業を通じて組合員との接点強化を図り、収入保険や園芸施設共済などの加入推進にもつながっている。
農福連携で生産された食品などの生産方法や表示の基準を規格化した「ノウフクJAS」が近年、注目されている。「ノウフク生鮮食品」と「ノウフク加工食品」「ノウフク観賞用の植物」があり、障害者の就労支援や農業の担い手不足解消につながるという社会的価値がブランドの軸となっているのが特徴だ。認証が普及することによって一般の消費者にも農福連携の認知が広がり、一層の販路の拡大にもつながると期待されている。
若手酪農経営者や後継者、牧場従業員、学生など約30人が参加し、酪農の面白さや可能性をテーマに意見交換する「酪農サミットin東京」(主催・地域交流牧場全国連絡会)がこのほど、東京都中央区で開かれた。4グループに分かれたディスカッションでは、牧場経営者や後継者、従業員がグループのリーダーを務め、牧場の課題などを発表。グループごとにアイデアを出し合い、解決への方策を探った。
【広島支局】「何とかして島に元気を取り戻したかった」と話す三原市の中村華奈子さん(43歳、「株式会社鷺島みかんじま」代表取締役)。2016年に「鷺島みかんじまプロジェクト」を始動し、空き家の再生や特産のかんきつを使った商品開発、農作業支援など、仲間や地域住民と共にさまざまな活動に取り組む。
〈写真:「必要に応じて農家の選果作業を手伝う。一年でも長く農業を続けてもらえたら」と話す中村さん(右)と善積敬浩(ぜんじゃく・たかひろ)さん(28)〉
【福島支局】水稲5ヘクタール(うち作業受託3.7ヘクタール)を栽培する大玉村の押山孝吉(おしやま・こうきち)さん(72)は、ライスグレーダーを改良し、米選別時の作業負担を軽減している。
押山さんはライスグレーダーを2台連結して使用。1台の側面にグラインダーで15センチ×13センチの穴を開け、もう1台の規格外排出口と連結した。連結した側の機械で規格外米を整粒米排出口に送り、袋詰めと計量の作業を簡略化した。
〈写真:「ライスグレーダーのカタログを参考に改良した」と押山さん〉
【愛媛支局】今治市朝倉地区では、就農者と研修生の合計6人が集合的に設置してハウス団地を形成し、野菜やかんきつを協力しながら栽培している。メンバーの平均年齢は31歳だ。
団地をまとめるのは、同市の越智雅史さん(36)。野菜やイチゴ、かんきつを合わせて1ヘクタールで施設栽培するほか、水稲70アールの作業委託を請け負う。
〈写真:和気あいあいと協力しながら作業を行う。左から3人目が越智さん〉
▼ノンフィクション作家の梯久美子氏が書き下ろした『やなせたかしの生涯』(文春文庫)を読んだ。綿密な取材を基に隠れた事実を掘り起こす梯氏の著作が好きで、やなせさんをどのように描くかとの興味からだ。アンパンマンがアニメ化されてからの陽気なおじいさんとの印象とは異なる波乱の人生と知った。
▼5歳で父を亡くし、7歳の時、母の再婚に伴い弟を養子にした伯父夫婦に引き取られた。不自由なく育てられたが常に寂しさを感じていたという。就職した翌年の1941年に21歳で招集され陸軍へ。46年に復員した時は27歳で、弟は戦死していた。
▼戦後は漫画家を志しながらも雑誌編集や広告デザインなど多様な仕事をして雌伏の時を過ごした。絵本『あんぱんまん』の刊行は54歳の73年、アニメの開始は69歳の88年だ。遅咲きの大輪である。
▼驚くことに、怒ったり声を荒げる姿を妻も含め誰も見たことがないという。アンパンマンは、困った人に自らの顔を与えて命をつなぐ。格差と貧困が広がり、対立が激化する世の中に光を一つ残してくれたのだろう。