今週のヘッドライン: 2022年08月 1週号
滋賀県長浜市余呉町の余呉地域づくり協議会赤ジソ栽培会は、獣害対策や農地の活用などを目的に、赤ジソ栽培に取り組んでいる。収穫した赤ジソは、ウメ産地として知られる福井県若狭町のウメ加工業者を中心に販売し、高い評価を得ている。イノシシなどはシソの香りを嫌うため、獣害に悩む中山間地域でも栽培しやすい。会では技術向上に努めながら徐々に生産量を拡大し、近年は特産としても認知度を高めている。
農林水産省は7月27日、食料・農業・農村政策審議会食糧部会を開き、2022年産の主食用米の作付面積は前年実績比で約4万3千ヘクタール減少するとの見通しを報告した。需給安定の目安とした3万9千ヘクタールを上回り、平年作であれば22年産米の生産量は673万トン、23年6月末の民間在庫量は適正水準とされる200万トン以内になる見込み。肥料など資材価格高騰に直面する産地では需給が一定程度引き締まり、出来秋の概算金など米価の回復が期待されている。水田営農の持続性確保には、再生産可能な価格水準への回復が大前提となる。消費者の理解醸成を含めた消費拡大策の実施も急務だ。
政府は7月29日、2022年度予備費を充てる物価高騰対策を閣議決定した。肥料価格の高騰対策では支援金を新設。化学肥料の使用量2割低減に取り組む農家の肥料コスト増加分の7割を補てんする。今後2年間で、同省が定めるメニューから二つ以上の実施が要件だ。既に二つ以上を実施する農業者には、追加的な取り組みの実施で対象とする。
収入保険は自然災害に加え、市場価格の下落、コロナ禍による需要減退、けがや病気による収穫不能など、農業者の経営努力では避けられない多様なリスクに対して収入減少を補てんする仕組みだ。加入を検討する農業者などから寄せられた制度に対する質問と回答を紹介する。
「施設園芸・植物工場展2022(GPEC)」(主催・日本施設園芸協会)が7月20~22日、東京ビッグサイト(東京都江東区)で開かれた。テーマは「持続可能でステキな未来型農業へ!」で、約170の企業や研究機関などが出展。展示の中から、コスト削減や安定生産、脱炭素効果が期待される被覆資材などを紹介する。
電力需給のひっ迫懸念などを背景に節電の重要性が増している一方で、猛暑による熱中症などを防ぐためにも、家庭での暑さ対策が不可欠だ。東京都あきる野市で昔ながらの知恵などを生かして生活する省エネ生活研究家のアズマカナコさんに、電力を節約しながら暑さを和らげる工夫について教えてもらう。
【山形支局】"美しい町で育つビューティフルなピーナツ"として名付けられた金山町産の落花生「ビーナッツ」。同町は、山形大学東北創生研究所、株式会社でん六との三者で地域農業振興協定を締結。2018年6月には、東北に落花生の一大産地を築こうと、生産者団体による金山町新産地開発協議会(会長・青柳栄一さん=62歳)が設立され、産地化への取り組みが着実に進められている。同町の黒土で生産する落花生は甘くて風味が豊か。ビーナッツは、さやが白くてきれいな点も特徴だ。品種は「ナカテユタカ」で、5月に播種し、9月中旬から掘り取っていく。その後はハウス内で1カ月以上乾燥させる。青柳さんは「播種や収穫の時期が稲作と重なるが、管理は除草などの軽作業が中心なので、それほど負担には感じない」と話す。同協議会では、日本財団「わがまち基金」と国の「地方創生推進交付金」の交付を受け、加工機材を購入し加工所を設立。栽培に必要な農機具類を生産者に貸し出す。栽培方法がマニュアル化されているため、初心者でも栽培が可能だという。今年は、青柳さんが代表を務める農事組合法人「いずえむ」を中心に、町内の18戸で4ヘクタールを栽培。12トンの収穫量を目指す。収穫した落花生の大部分は茨城県の業者が1次加工の殻むき作業をして、でん六へ出荷。同協議会も加工を手がけ、看板商品の「殻付きビーナッツ」はすべて2粒入りで統一した。ビーナッツは同町のマルコの蔵や新庄市のゆめりあなどで販売する。生産者が増えたことから、今年から通年での販売を予定。業務用として県内のホテルや洋菓子店の原材料としても出荷している。「ビーナッツで町を元気にしたい」と青柳さん。「金山町を訪れてくれた人に喜んでもらえるように、落花生を活用した土産品など新たな商品開発もしていきたい」と話す。
〈写真:落花生の可能性を信じ、町おこしを目指す青柳さん〉
【茨城支局】「収入保険は営農リスクを軽減できる保険。今後もそういった保険であり続けてほしい」と話すのは、かすみがうら市の根本修〈ねもと・おさむ〉さん(47)。家族5人でレンコン6.3ヘクタールと水稲60アールの栽培に取り組む。新型コロナウイルス感染症や異常気象の影響を受けたが、収入保険の保険金等を受け取ったため、安心して営農に取り組むことができているという。農地がある霞ヶ浦周辺は、白く肉厚でシャキシャキとした食感が特徴の「金澄〈かなすみ〉」系品種を作付ける農家が多い。しかし、産地や生産者間での品質などのバラつきが大きいため、近年では生産者、JA、普及センターなどで優良系統が選抜された。根本さんは、地下茎が大きく、食味が良い年内収穫向けの品種「幸祝〈こうしゅく〉」「パワー」「ひたちたから」を主力に栽培する。4月上旬から5月中旬にかけて、種レンコンと呼ばれる根茎の一部を植え付ける。種レンコンは前年のうちに水田に定植し、使用する際に掘り起こす。その中から、丸く、ふっくらした良質なものを選定。本圃に植え付け成長させる。6月から7月はアブラムシやイネネクイハムシの病害虫防除、専用肥料の追肥を実施。収穫は8月中旬から翌年5月ごろまで続く。井戸の水を機械でくみ上げ、ポンプの水圧でレンコンの泥を飛ばす方法で収穫する。近年多発する台風のほか、霞ヶ浦沿岸で発生しているジャンボタニシやミシシッピアカミミガメなどの外来種生物による食害で、収量に多大な影響が出ているという。ネモグリセンチュウによる黒点症状や変形などの品質低下にも悩まされている。一方、肥料や資材、農薬の値上がりが懸念されるなど心配は尽きない。そのような状況の中でも「リスクに対応している収入保険に加入して、経営基盤が安定すれば、さらなる展開が見込める。それが後継者の確保や食料自給率の向上、地域の活性化、そして"未来の育農"にもつながるはずだ」と根本さん。今後も収入保険に加入し、「小型無人機(ドローン)などの設備投資で、品質向上や高収益を目指していきたい」と力強く話す。
〈写真:根本さんと収穫したレンコンを手にする娘の悠禾〈ゆうか〉ちゃん(3)〉
【島根支局】地域のブランド米「西いわみヘルシー元氣米」を使ったポン菓子「ツワノポンポーン」を作り、米の消費拡大の手助けとなるよう活動する千舎ノ木農園の経営者・青木登志男さん(73)。津和野町にある同農園では主にクリを栽培し、クリの加工品や菓子を製造・販売している。近年、全国的な米の需要減少や米価下落、後継者不足などが影響して離農が続く。青木さんは「田をやめれば獣害が増えることで耕作放棄地が増え、農地の維持が難しくなり、農村の崩壊につながる。米の消費拡大に少しでもつながり、農家の力になれたらと思い、ポン菓子作りを始めた」と話す。ポン菓子の原材料はヘルシー元氣米を使うことに徹し、大人には懐かしさ、子どもには物珍しさをテーマに、オンリーワンの商品を目指している。昨年秋から開発に取り組み、うすしお味や、ニッケ(シナモン)味、しょうが味、ゆずポン酢味などを今年の大型連休明けに完成させ、同町の道の駅などで販売を始めた。6月には、JA西いわみ地区本部の地区本部長や各支店長に試食をしてもらい好評を得た。JA津和野支店の竹長隆支店長は「いろいろな味があり、甘すぎずあっさりしておいしい。こうした取り組みは、農業の活性化につながるのでありがたい」と喜ぶ。青木さんは「今後、ポン菓子グランプリと銘打ち、地元の高校に声をかけて新しいアイデアを募集しながら米の消費拡大を目指したい」と意気込む。
〈写真:ツワノポンポーンは税込み388円。今後は新しい味やグラノーラを製造する予定〉
【北海道支局】帯広市美栄町の合同会社十勝とやま農場(代表・外山隆祥さん=36歳)では、50年前のトラックをリメークした「カンノンサウナ」を2022年3月、農場敷地内に誕生させた。同農場は、自作のトレーラーハウスを利用した民泊事業を16年から開始。訪れた観光客に向けた食育活動に取り組む中、新たな試みとしてテントサウナを20年末に設置した。利用者の声に手応えを感じた外山さんは、現役を引退した農機具をリメークする「ファームトラックサウナプロジェクト」をクラウドファンディングで立ち上げ、140人余りの支持を集めることに成功した。カンノンサウナでは、四季の移り変わりや作物の成長が間近に感じられ、雄大な日高山脈を一望できる。傍らには、農耕用トラクターの1971年製「マッセイファーガソン135」を展示。農業の歴史にも触れることができる。今年8月にはシャワー棟やダイニングが完成し、「サウナスポット」として本格稼働する予定だ。外山さんは「大自然の中でのサウナ体験を通して、農業の魅力や現場を知ることで、食への関心を高めるきっかけになることを願います」と話す。
〈写真:1976年製三菱ふそうキャンター(愛称・Vキャンター)がサウナとして復活〉
▼「地方で暮らしたい人」と「一緒に暮らす仲間を探す地域」を橋渡しするふるさと回帰支援センターが設立から20周年を迎えた。面談や電話、メール、見学、セミナー参加などを合計した2021年の相談件数(東京)は、前年比29%増の4万9514件で過去最高を記録したという。20年はコロナ禍で大きく落ち込んだものの、V字回復した。
▼理事長の高橋公さんが同センター広報誌に寄せた文章によると、設立から数年間は集客や運営費の確保に苦労されたようだ。その後、08年のリーマンショックを機に地方移住への関心が高まり、11年に発生した東日本大震災と原発事故によって子育て世代の地方移住が全国に広がったと振り返る。
▼昔の新規就農者の取材では、多くの役を引き受け、行事には必ず参加するなど集落に受け入れてもらうまでの苦労話をよく聞いた。最近の体験談では、受け入れ側の人との出会いを決め手とする記述も多く、受け入れ側の意識が大きく変わった気がする。
▼地方移住を希望する人たちは、地域を探すというより、移住後に長く付き合える人を探しているのかもしれない。