今週のヘッドライン: 2022年02月 1週号
長野県飯島町の田切地区では、集落営農法人から兼業農家に畦畔(けいはん)の草刈りや野菜収穫などの作業を委託して副収入や農業との接点を生み出し、中山間地の水田営農の担い手として活動を促す。「ほかに生業を持ちながら、稲作や水田管理に関わる未来型の"副業農家"を増やしたい」と、水稲など100ヘクタールで経営する株式会社田切農産の代表・紫芝勉さん(60)。作業委託の働き方は調整可能で歩合制なども導入し、幅広い年代・性別が参加しやすくしている。JAや町も一体となって、専業に限らない多様な農業従事を支援する。
農林水産物・食品の輸出拡大へ、農林水産省は、今通常国会に輸出促進法等改正案を提出する。生産から流通、販売など品目ごとの関係事業者が組織する品目団体を国が認定し、一体的な活動を支援する仕組みの創設が柱だ。オールジャパンで輸出促進に取り組む体制を一層強化し、2025年に2兆円、30年に5兆円とした輸出額の目標達成を目指す。21年1~11月の農林水産物・食品の輸出額は1兆779億円となり、年間で初めて1兆円を超えた。輸出額の拡大には、関係者が連携して輸出先国・地域の需要を把握し、市場を広げていく取り組みが不可欠だ。政府には、リスク対策を強化し、農業者の所得増につながる道筋を示してもらいたい。
農林水産省は1月26日、2022年産政府備蓄米の第1回入札結果(25日実施)を公表した。買い入れ予定数量20万7千トンに対し、31万5044トンの応札があり、20万5550トンが落札された。主食用米の需給緩和を受け、各産地とも22年産米の売り先確保に積極的に動いており、落札率は99.3%と、21年産に引き続き高水準となった。
「米の概算金が60キロ当たり9100円と知った時はショックだった。下落は予想していたが、まさか1万円を下回るとは」と話すのは、宮城県栗原市金成で水稲32ヘクタールを栽培する株式会社石川アグリの石川和彦代表(60)。2021年産米は、人口減少などに伴う消費減少に加え、新型コロナウイルスの影響により業務用米の需要が減少し、全国的に米価が低迷。米農家の経営を直撃した。資金繰りの悪化も懸念される中で、収入保険が経営継続の一助となっている。
近年は、豪雨や地震など甚大な被害をもたらす災害が毎年どこかで発生している。水や食料など災害時に必要なものがコンパクトにまとまった防災備蓄品セットを用意して備えておきたい。高齢者にとっての防災備蓄品セットの必要性やその中身について一般社団法人防災安全協会の斎藤実理事長に教えてもらう。
農林水産省は「気候変動適応実践セミナー」を開催し、地域ごとの気温の上昇による農業への影響と、その軽減・回避対策について先行事例などを紹介している。関東・東海地域セミナーでは、果樹作をテーマに群馬県のリンゴ、茨城県のニホンナシの事例が発表され、品種の選定や病虫害の防除などの重要性が示された。
【岩手支局】園芸施設共済に加入する遠野市の立花利夫〈たちばな・としお〉さん(68)に、被害の経験や現在の対策を聞きました。
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天候に左右されずにピーマンを栽培するため、2020年の11月末にハウス5棟を新設しました。ハウスの周囲は風よけになるような山や建物などが無く、被害で営農計画や収入に支障が出てしまうのは、組合を経営する上で大きなリスクだと考えました。そこで、NOSAI職員に特約などを含めた制度の説明や試算をしてもらい、21年の1月に園芸施設共済に加入しました。加入初年度ということもあり、付保割合追加特約や小損害不填補(てんぽ)1万円特約など、手厚い補償を付けました。特に、付保割合追加特約は新築時の価格まで補償できるところが魅力的ですね。2月に低気圧による強風で、加入したハウス5棟が被害を受け、そのうち1棟が全壊しました。壊れたハウスを見たときは言葉を失い、自然の恐ろしさを改めて感じました。被害のショックで無気力状態になってしまいそうでしたが、園芸施設共済のおかげで再建することができました。現在は、風を逃がすためにハウスのドアの開閉を工夫し、補強もしています。私たちの組合では、来年度もピーマンや水稲、大豆栽培を続けるので、園芸施設共済に継続加入しました。加入が組合経営のリスク軽減の一助になればと思います。 ▽かわばた・しょういち▽72歳▽水稲84.5アール、露地野菜20アール▽収入保険に2022年から加入
子供の頃に食べたお米の味が忘れられず、実家のある越前町平等で、水稲を栽培しています。滋賀県大津市に住んでいますが、2014年に定年退職し、3月から11月までを福井で過ごして、米作りに取り組むようになりました。先祖が代々守ってきた圃場は水がきれいな里山にあり、おいしい「コシヒカリ」ができることで有名な場所なので、量を多く収穫することよりも、おいしいお米を作ることにこだわっています。最近では、動画投稿サイト(YouTube)でおいしい米作りについての動画を見て、よりおいしいお米が作れるように、新しいやり方を取り入れられないか勉強しています。友人や親せきから自分が栽培したコシヒカリが「とてもおいしい」と言ってもらえると、作っていて良かったと実感し、また来年も頑張ろうと元気をもらえます。体力的に大変なことはありますが、農作業で自然に触れているせいか、心身ともに健康になり、風邪をひかなくなりました。20年から続くコロナの影響で、米の価格が低下し、収入保険に加入することを決めました。収量や価格低下だけではなく、不測の事態にも対応できる収入保険は、私にとって必要なものだと感じています。耕作放棄地となっている圃場20アールで、21年から落花生やサトイモなどを栽培しています。耕作放棄地を少しでも減らして、先祖から受け継いできた田んぼを守っていきたいです。
(福井支局)
〈写真:秋に収穫した落花生「おおまさり」を手に「福井の生活はとても充実している」と川端さん〉
【島根支局】浜田市金城町へ2014年にIターンした横山堅二郎さん(44)は、翌年、後継者がいなかったナシ園を継承。現在は3園地86アールで栽培する。加工品には向かないナシだが、3年前に「赤梨と薔薇のジャム」を開発。きっかけは県主催の商談会で大田市産の食用バラを知り、ナシと相性がいいのではと考えたからだった。試験的に販売したところ好評で、昨年は本格的な販売を見据え大幅に改良した。「ナシのシャキシャキした食感が生きるように大きめにカットした実を入れています。砂糖は甜菜糖ときび糖に変え、とろみをつけるために粉寒天を添加物の代わりに入れています」と横山さん。現在、ジャム作りは妻の裕子さん(45)の担当で、古民家を改装した自宅横の加工場で直売する。主に地元のスーパーなどへ出荷していた生果は、今年から直売する量を増やす考えだ。「自分で販売するのは大変ですが、買っていただける方の顔が見えるとやりがいは大きいです。ジャムは個包装したものを商品化し、ホテルなどへ売り込んでいきたいですね」と意欲的だ。
〈写真:「楽しみながら奮闘しています」と横山さん夫妻〉
【岡山支局】「大切なのは土壌準備」と話すのは、真庭市蒜山(ひるぜん)地域でキャベツを3.5ヘクタール栽培する小谷勝男〈こだに・かつお〉さん(67)。現在はキャベツのほか水稲1.1ヘクタールを、従業員と合わせて3人で栽培する。主力のキャベツは年間160トン収穫。一年中出荷するため、時期をずらして春秋で作付ける。春植えは甘く軟らかさに定評のある「初恋キャベツ」、秋植えは越冬に強い「春空〈はるぞら〉」「若空〈わかぞら〉」「さつき女王」の3品種を栽培する。小谷さんは、さまざまな農法を模索してきた。現在は土壌作りと初期の育苗に力を注ぐ。「種まきをする前の下準備、育苗期間の管理の二つは収穫量を安定させる重要なポイント」と小谷さん。pH値を6から6.5に保ち、土が硬くなりすぎない肥料を使用することでキャベツに適した土壌を作る。初期の育苗で強い苗を作ることで、定植後の生育が良く、葉が傷みにくくなるという。昨年は新型コロナウイルスの影響もあり、キャベツの販売価格が下落。昨年まで検討中だった収入保険だが、今年は加入を視野に入れている。
〈写真:「冬はこの雪の下にキャベツが埋まっています。寒さに負けず頑張ります」と小谷さん〉
【富山支局】「芋のことをもっと知ってほしい」と話すのは、県内各地で焼き芋の移動販売に取り組む「越中芋騒動」の松下兼久〈まつした・かねひさ〉さん(48)。手掛ける焼き芋は、つぼの中に芋をつるして蒸し焼きにする「つぼ焼き芋」だ。サツマイモ栽培と焼き芋販売を始めたのは2015年。「サラリーマン生活はおもしろくない。自分でものを作って売ることで日々の暮らしの楽しみが変わると思ったのがきっかけ」という。富山市八尾町にある5アールの畑で、「べにはるか」「シルクスイート」「クイックスイート」など約10品種を農薬や化学肥料を使わずに栽培する。店では常時3~4種類用意し、「選ぶところから芋を楽しんでもらいたい」と松下さん。「お客さんに喜んでもらえるとやりがいを感じる。栽培から販売まですべて自分でやっているからなおさら」と話す。つぼ焼きの燃料の炭も自分で作りたいと、森の育成も始めた。「焼き芋をすべて富山のもので作ることで、遊休農地の活用と里山を守ることにつなげたい」と話す。
〈写真:移動販売のワゴン車の前で「多くの人に食べてもらいたい」と松下さん〉
▼農林水産省は、今年も恵方巻きの予約購入を呼びかけている。需要に見合った販売を促し、残り物の廃棄による食品ロスの大量発生を回避するのがねらいだ。今年は60を超える食品小売事業者が予約販売に対応するという。米の消費拡大は歓迎したいが、食べられないままの大量廃棄は見過ごせない。
▼恵方巻きの起源は、戦国時代や江戸時代など諸説あり定かでない。節分にその年の恵方に向かって食べる風習も大正時代に大阪の花街で始まったなど複数の説がある。ただ、大量廃棄が問題化したブームのきっかけがコンビニの宣伝競争にあったことは確かだ。
▼最初は関西地域の限定販売だったが、1990年代に全国展開され、「縁起がよい」と多くの消費者が歓迎した。その結果、販売競争が激化し、節分を過ぎた直後に作り置きしていた恵方巻きの大量廃棄を招いた。
▼日本では、スイーツなど食品ブームの消長が激しい。つい数年前は、タピオカドリンクを提供する飲食店が続々開店し、軒を連ねた。昨今は飲みたくても提供する飲食店がどこにあるかさえ分からない。
▼コンビニの販売戦略がきっかけとは言え、恵方巻きは縁起を担いで続けている人も多いだろう。今年の恵方は北北西という。コロナ禍の収束なども願いながら食べてみるのもよいだろう。米の消費拡大に向け、適度に太く、長く続くブームを望みたい。