▼新紙幣で1万円札の肖像に採用された実業家の渋沢栄一は、生涯に約500社の会社設立や経営に関わったという。江戸時代末期に農民から武士に取り立てられ、後に徳川第15代将軍となる一橋慶喜に仕えた。維新後は明治政府の官僚として造幣や戸籍など国の礎を築いた後、実業家に転進した。
▼農業関係の実績を調べると北海道開拓にも携わっている。1897(明治30)年に十勝川沿いの土地3500万坪の貸し付けが許可され、翌年に渋沢ら10人が出資して十勝開墾合資会社を設立。同年に石川・福井からの入植者を迎えて畑作と酪農に取り組んだ。
▼寒冷な気候や物流の困難などから、事業が軌道に乗るまで10年ほどを要した。その間、出資者の離脱もあり、事業の縮小や計画見直しなど苦労もあったよう。会社のあった清水町熊牛地区には、1919(大正8)年に建築された当時最先端の畜舎が残る。しかも今も現役で使用中というから驚く。
▼渋沢は主に投資や資金集めに尽力し、新会社が収益を上げるまで支えたそうだ。財布に集まってくれるとなお心強い。