▼連日の暑さに辟易(へきえき)し時には適度なお湿りと心地よい涼風が恋しくなる。だが水稲の幼穂形成期から出穂期にあたるこの時期、急激に気温低下し20度以下になると障害不稔(ふねん)の恐れがある。移ろいやすい天候だけに、東北地方では特に予断を許さない。
▼障害不稔といえば、東北の最終作況指数78だった1980(昭和55)年、同じく56となった93(平成5)年の大冷害を記憶する。両年とも夏場に、著しい低温と雨が降り続く日照不足により、東北地方のみならず全国的に稲は成長が大幅に遅れ障害不稔などが発生、まさに大冷害だった。
▼80年冷害では、同じ地区内でも家畜ふん堆肥の投入や深耕、高く畦(あぜ)を盛る水稲農家の水田では平年作を維持できたなどの事例が報告され、地力増進法(84年)施行につながる。高度経済成長期から連年施用されてきた化学肥料や、ロータリー耕による表層耕起の見直しから、深耕が可能な水田プラウなどの利用が増えた。
▼冷害は再起の種子も播く。新たな耐冷性の水稲品種育成にもつながった。宮城県の「かぐや姫」や岐阜県の「いのちの壱」(龍の瞳)は、93年冷害時の立ち枯れ株が広がる水田の中に、まるまると充実した籾(もみ)をつけた数株の穂から採った種子だった。
▼一栽培農家による育成品種で、堂々と産地品種銘柄に名を連ねる。冷害にしろ高温障害にしろ、わらを握って農家は再び立ち上がる。いかなる気象になろうとも、被害軽減に向けた基本技術、これが最大の農家による防御なのだ。