▼地面が上下に波打ち隣家の家屋が大きく左右に振れ、足元に稲妻のような地割れが走る。五十数年前の新潟地震。一日中が4歳の少年の記憶に刷り込まれた。松林への避難、石油施設の火災、津波避難者への炊き出しで騒然とするわが家だ。
▼東日本大震災から今年で5年。多くの尊い命を失い、農地が住居が職場が流れ灰じんと帰した。被災者はこの5年間、失意の闇から眉を開き、暮らしを立て直し、道路・施設などの環境インフラを稼働させ、営農再開に向けて言語を絶するような苦労や努力をしてきたに違いない。
▼震災後、被災地の模様を写した何枚かの写真が忘れられない。瓦礫(がれき)を前に号泣する少女、バケツを持ち給水の列に並ぶ少年の姿。5年を経てなお心に傷を負ってはいまいかと心を巡らす。
▼津波による被災農地で営農再開できている面積は7割強。原発事故後、帰還困難区域や居住制限区域が歴然として残り、避難指示解除区域も帰村への躊躇(ちゅうちょ)、除染後のあまたな難問を抱え営農再開が進まない地区もある。
▼50年を過ぎた記憶さえ消去は難しい。ならば今、子どもたちに復興や営農再開に取り組む農家の姿を記憶にとどめてほしい。農地造成でずさんな工事をする業者もあると聞く。これらを語り継ぐことが新たな伝承者としての責務だ。