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防風林「後世に残したい原風景はみんなの手で維持保全を【2015年8月4週号】」

 ▼夕日が海に沈む日本海。新潟浜とそれに続く松林は少年期に夕暮れまで駆け回った原風景。公園整備で景観は当時と一変したが、赤く結実するグミとハマナスの群生は今もわずかに残っている。
 ▼太宰治と並ぶ「無頼派」作家・坂口安吾は、中学校の授業を抜け出しては、この浜辺に寝転び荒海と大空を眺め続けていたという。「ふるさとは語ることなし」と刻まれた歌碑が、松林の一角に座し日本海と真向かっている。
 ▼江戸後期、幕府は水運の要衝である長岡藩領の新潟港周辺を天領とし新潟奉行所を設置、初代奉行に任じられたのが川村修就(ながたか)だ。海風に舞う大量の飛砂が街や畑を侵食する被害を食い止める目的で、数キロに連なる砂山に約3万本の松苗を川村も自ら植え、防風林の造成に心血を注いだのだ。
 ▼明治後期から昭和初期に活躍した詩人・北原白秋は大正11年、新潟浜を散策し帰京後まもなく一編の詩を創作した。「海は荒海 向こうは佐渡よ」で始まる「砂山」。この詩に山田耕筰(こうさく)と中山晋平が曲をつけた。歌詞の3番に「帰ろ帰ろよ ぐみはらわけて」の一節からでも、当時の砂浜は、真っ赤な小さい実を付けたグミが野原のように広がっていたことが想像できる。
 ▼川村が築いた防風林は今も残る。だが今、マツクイムシ被害などで茶色く枯れた木々も多い。都会や農村にかかわらず、後世に残したい風景が誰の心の中にもあるはず。誰の物でもない共有財産は、住民や望郷する全ての人が維持保全を考えるべきだ。