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防風林「集落住民の存在が道を維持する【2019年2月2週号】」

 ▼源頼朝が開いた鎌倉幕府。当時の御家人たちは、鎌倉に一大事が発生した際には何をおいても鎌倉に駆けつける使命を帯びていて、その道筋は一般に「鎌倉街道」と呼ばれていたそうだ。
 ▼北条執権家の治世が続く時代。旅の僧侶が大雪に見舞われ、貧しげな民家に一夜の宿を願いでたところ、家の主〈あるじ〉は快く僧侶を招じ入れ、鉢植えの松竹梅の木を囲炉裏〈いろり〉に投じておこした火で、暖と温かな膳を用意した。「貧しくおかまいはできないが、"いざ鎌倉"とあらばはせ参じて敵と相対す覚悟」と身上を打ち明ける。
 ▼その後、幕府から全国に召集がかかり、その主もほうほうの体で鎌倉に到着しその足で政庁に赴いた。上座の貴人の尊顔を拝すとあの雪の夜の旅の僧侶、執権・北条時頼だったとの物語。筆者が住む埼玉には交通量の激しい鎌倉街道がある。逸話の背景は北関東周辺とされ、真実とすればこの道を通ったことになる。
 ▼『峠の歴史学』(服部英雄著)では、全国に散在した鎌倉街道だが現存する事例は稀〈まれ〉だという。道路敷設の目的は大きく流通・軍事・信仰とし、荷駄用の牛馬は谷底が見える木橋を渡れないため、架橋のいらない山の尾根や峠に道を開いた。
 ▼峠道の多くは国境など辺境集落を通過。服部氏は古道探索経験から、廃集落が増え鎌倉街道だけではなく、歴史的に重要な道の存在や伝承すら絶えたという。集落から住民が途絶えると、道も草や土に埋もれ歴史や記憶からも消える。

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